設定タイム |
■心理的な壁 陸上競技をやっていた方、特に長距離種目を経験されていた方なら、一度は経験しているでしょう。それは「設定タイムを守る」こと。私も学生から社会人になっても、普段の練習で、特にポイントになる練習の時は、この設定タイムを順守する方法を取っていました。 でも、このやり方は結構強いストレスを生むことがあります。調子がよかったり、練習を継続してこなせている場合はまだ良いです。設定タイムを上回るペースで走ることが出来れば、次回はまたその設定タイムを上げる練習に挑戦することも出来ます。 ですが、問題は練習が上手く続いていなかったり、そのペース設定が選手にとって高すぎたりする場合、タイムが心理的な壁になってしまうことがあります。私も年齢的なものがあってなかなかマラソンの練習でタイムを追うことが難しくなって来たのですが、時計を見るのが嫌になってしまった時もありました。 ■感覚に任せて走る こういう時に大事だと思うのが設定タイムに挑むのではなく、時計で計らずに選手の感覚に任せて走ることです。今年の箱根駅伝で優勝した青山学院大学の選手にも数人いましたが、レースで腕時計をせずに自分の感覚で前にいる駒澤大学の選手を追った、という例もある通り、最初の1kmを何分で入って、という計算をするのではなく、自身の調子と感覚を頼りにレースプランを描くことがポイントですね。 日本人選手は普段の練習からタイムを順守することを求められるケースが多いな、というのが率直な印象なのですが、そこに縛られて心理的な壁を作ってしまうのは、大袈裟に言えば可能性を阻害する勿体ない事かなとも思います。だからよくマラソンのレースでもペースメーカーが設定通りに走れているか、という見方も、私はあまり重要な事ではないと思っています。 往年の名ランナー・中山竹通選手がこうしたペースメーカー先導のレースを「良い子の教科書通りのマラソン」と指摘していましたが、私もそうだと思います(日本のマラソンはなぜダメになったか/折山淑美:著より)。今年の大阪国際女子マラソンで前田穂南選手(天満屋)のように、20km過ぎでペースメーカーをも置き去りにする仕掛けを見せる選手がもっと出てきても良いと思います。 ■経験則から 私自身を省みると、母校高校で外部指導者を務めていた時も練習メニューを組む際や試合の前、設定タイムを記載していましたが、あんまり縛らない方が良かったなと思います。調子が良いからこなせた、悪かったからこなせませんでした、では継続という観点から見ても意味がないですし、もうちょっと他のやり方もあったなと、現場を離れた今でも反省しています。 よくよく思い起こしてみると、私が中学生の時は練習に設定タイムは一切ありませんでした。自分で考えてペース配分は決めていましたし、常に周りとの競争だったので、抑えた走りは一切しなかったと思います。 ■与えられた設定ではいけない 今回は自戒の意味も込めて、設定タイムの持つ影響について書いてみました。勿論、自分でペースを考えて走るのも大事です。でも人間はその日によってコンディションは違います。そのため、設定をするなら幅を持たせて「大体このくらい」、もっと言えば「適当」でも良いと思います。 レベルの高い大会に出るには標準記録を突破しないといけないレースもあるとは思います。そのため、ペース感覚を磨く練習も必要ではあります。ただ、それが指導者から選手へ設定を与えられているだけでは良くないのかもな、と思うのです。どんなレースでも展開やペース含めて選手が自分で考えることが出来る、それが大事だと思います。 ■「レースに勝つ」という最適解 あと、以下は余談ですが、陸上競技やマラソンは、記録よりもまず勝つことが本質のスポーツだと思っています。「レースに勝つ」という最適解がまずあって、そのために自分でいかにレースを作るか、動かすか。勝負を決めるレースであれば、当然いかに設定通りに走るかではなく、いかにして勝つかが大事になります。 最近はオリンピック、世界選手権といった国際大会から、日本選手権、インカレといった国内大会まで、出場するには標準記録突破が条件になる大会が多いので、あまり説得力はないかもしれませんし、勝つレースだけが「正解」ではないことも承知しています。そのため私の中では「最適解」という言い方を選びました。それでも試合に臨むに当たっては、普段の練習で設定を与え、追い求めるよりも、「記録は後からついてくる」くらいに考えている方が、練習の継続・繋がりを考える上でも案外良いのかもな、と思うのです。 |