お金 |
前述のとおり、私は親から虐待されて生きてきました。親の振るう暴力や吐く暴言にはショックはありませんでしたが、屈辱は感じながら生きてきました。食事を食べさせられる、学費を払ってもらう、それは大変な屈辱でした。でも大学に行って陸上競技をやりたい、その一心で我慢してきました。私は子供のころ、小遣いをもらったことがありません。馬鹿どもは小遣いをやると言いましたが、私は必要以上に金品を受け取ることを屈辱とみなしていたため、頑として受け入れませんでした。断ったらまたかわいくないとか何とか言って機嫌を損ねることになりましたが、仕方ありません。
大学生になって寮に入り、ようやく実家から出ることができたました。ようやく解放される、そう思いました。しかし実際は違いました。学費を払ってもらっている、仕送りをしてもらっている、結局は金を払ってもらっていることがどうしても重く私にのしかかってきました。距離があるため、罵詈雑言や暴力はなくなりましたが、精神的に解放されることはありませんでした。仕送りが途絶えれば、大学も陸上も辞めざるを得なくなります。我慢でした。 私は大学2年の時に走りすぎて疲労がたまり、髄膜炎を起こして2週間入院したことがあります。その時も府中にある病院に来てまで、「お前の入院費に一体いくらかかると思ってるんだ?」と言ってきました。その時はもう死んでもいいからすぐに退院させろと思ったものです。ちなみに入院費は大学生協の補助が出たため、実際のところはそんなにかかっていません。ほとんど返ってきています。その時の奴らの喜びようを見て殺意が沸きました。 また、私の中で最大の屈辱でもあり、汚点でもあるのは、前述のインターネットサービスプロバイダのサポートセンターでの勤務が終わった後の生活です。事実上解雇されてからは、僅かな貯金しか残されておらず、病気が治るまで休養することもままならず、次の仕事を探しました。年齢的にはまだ若かったので決まりはするのですが、続けられない。1日で辞めた仕事もありました。そうこうしている内に貯金は底をつきました。迷いましたが、私はその時に親を頼りました。仕送りは直ぐに来ました。当時はもう理不尽なことは何も言われませんでしたし、殴られることもありませんでした。でも、やはりこの選択は悔しかったです。もう自分では何もできないんだな、そう思うようになったのはこの頃からです。どんどん自分が情けなくなり、生きる自信もなくなりました。こんな思いをするのなら、生活保護でも受ければよかったと思います。 しかし、金を払ってもらっているのは事実。歩み寄らなければならないとも思いました。ですが、実家に何度か顔を出した時の事です。奴らは弟と下らないことで猛烈な喧嘩を始めました。私の脳裏に瞬時に虐待された時の記憶が蘇りました。鬱がひどくなり、苛立った私はその日、急遽府中の自宅に戻りました。もう歩み寄るのは不可能だと思いました。歩み寄っても無駄というのが正直なところです。当時、私は精神障害者のリハビリ施設へ通っていましたが、その直後に一刻も早く仕事に就かねばという思いに駆られ、以降、仕送りは断りました。なんとか障害年金を受給することが出来、また、調布にある会社にも仕事が決まりました。前述の通り、障害者手帳を取得して障害者雇用という形で働くようになりました。障害者になることに抵抗はありましたが、仕方ありません。 私には膨大な借金があります。高校の学費、大学の学費、仕送り、等々。これらを全額返済して絶縁するのが私の目標でもあります。しかし、精神障害者のわずかな収入ではこれらを全額返すのは至難の業です。今でも仕事中等でフラッシュバックが起こり、お金のことを考えることがありますが、どんどん鬱になっていきます。このまま負け犬で終わるのか。 |