チームスポーツ
 〜初めて見た日本インカレ

きっかけは陸上競技マガジンの誌面でした。5月の関東インカレの模様を取り上げていて、様々な選手たちの特集記事が組まれていました。中でも早稲田の主務の方の特集記事を、私は食い入るように読んでいました。主務という存在をその記事を通して初めて知ったのですが、選手も学生なら、学連をはじめ裏方も学生という構成にとても魅力を感じたのを覚えています。

9月に日本インカレがあることを知り、絶対に見に行こうと決めました。1994年9月11日、快晴の国立競技場に足を運びました。チケット売り場のお姉さんたちが学生補助員であることを知るのは大学入学後でした。国立競技場のゲートを抜けてコンコースを登り、スタンドへ入ると、ちょうど男子800mの決勝が行われるところでした。

まず感じたのは会場の雰囲気、熱気。「ゴーゴーレッツゴーレッツゴー〇〇!」という馴染みのフレーズ以外にも各大学独自の応援スタイルがあって「うわ、すごいな」と思ったのを覚えています。中でも日大がテンション高かったです。800mでは福井工大の一志学選手が勝ち、その後の200mでは日大の宮田英明選手が、5000mでは早稲田の渡辺康幸選手が勝ちました(山梨学院のマヤカ選手は故障か何かで欠場)。いずれのレースもじっくり見ながら、会場の雰囲気を楽しんでいました。もちろん、フィールド種目も見ていましたよ。そうこうしているうちに最終種目の4x400m。その年の広島アジア大会代表3人を擁する法政を日大が一走に大森選手を起用するという奇策に出て、アンカー田端選手が稲垣選手を逆転して優勝という流れに、日大の応援団がフィールドになだれ込んで歓喜に沸いていたのが印象的でした。

最終日のタイムテーブルは比較的短く、滞在時間はそんなに長くはありませんでしたが、競技場そこかしこで見かける有名選手、指導者の方々に心躍ったものです。この舞台で走れたら最高だろうな、そう思いました。箱根駅伝という憧れは中学生の頃からありましたが、インカレという存在を知ったのはこの時です。陸上競技は個人競技と思われるかもしれませんが、私にとって学生陸上は究極のチームスポーツでした。選手も審判も補助員もマネージャーもトレーナーも、チームで戦っている、それがこの会場の一体感を生んでいるんだろうなと。

当時高校生だった私は、まだ表面に見える光景でしかインカレを捉えることは出来ていませんでしたが、大学で陸上競技を続けたい、というモチベーションを上げるには十分すぎる時間でした。実際に大学に入ってからは理想とのギャップに苦しみましたが、それでも退部をしなかったのは、母校をインカレで戦う集団にしたい、あの時感じた「チームで戦う」集団にしたい、という思いが強かったからです。これは余談ですが、日藤陸上部指導者時代も、総体は常々チーム戦だと言い続けてきました。自分の競技よりも部としてインカレで戦うことに力を注ぐ選択した時点で、私の競技者としての素養はたかが知れていますが、大学4年間、本気で陸上競技に打ち込むことの尊さを、憧れと併せて見せてくれた大会でした。


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