「エンジにW」にあこがれてA

今年もいよいよ寒くなってきて、学生陸上界は駅伝シーズンに入っています。出雲、全日本と終えて、関東の大学は残すところ箱根駅伝となりました。前述のとおり、早稲田大学競走部に憧れていた私。高校生の頃、入部条件を確かめたくて一度合宿所に電話で問い合わせをしたことがあります。その時対応してくださった主務のAさんはとても丁寧だった印象を覚えています。当時の長距離部員の入部条件は5000m15分40秒以内で走ることでした。タイムを切っていない選手は1年生の間に仮入部として扱われ、1年以内に15分40秒を切れば正式入部にしてもらえるとのことでした。浪人時代に16分25秒でしか走れていなかった私に、「合格発表を見に行きましょうか?」とまでおっしゃっていただきました。やる気になったと同時に高校時代から腐ってしまった自分への情けなさが込み上げてきたのを覚えています。

当時の早稲田大学の競走部は、少数の特別推薦組と多数の一般入部員で成り立っていました。インターハイや高校駅伝で活躍した一握りのトップ選手と、一般受験を突破して入学してきた雑草軍団。レベルに差があるため練習も全く同じということではないとのことでした。どうして私が早稲田大学の競走部に憧れたかというと、上記のとおり一般入試組を大切にしてくれること、また実際にその一般入試組が箱根駅伝で活躍していることでした。当時の早稲田には武井隆次、櫛部静二、花田勝彦、渡辺康幸、小林正幹、小林雅幸といったスター選手がいましたが、私にとってのヒーローは、富田雄也、豊福知徳、大塚毅、大関篤史、小倉圭介、高瀬豪史、小林修、後宮正幸、藤井一博、村松大吾、酒井秀行といった選手たち(まだまだいます)でした。

いつだったか放送されたニュースステーション(現・報道ステーション)での早稲田大学競走部の特集。たしか大関篤史選手が全日本を走るまでの軌跡や、長距離の一般入試組の練習などを紹介していました。トラックの5000m、10000mでは勝てなくても、20kmなら勝負できる。一般入試組は長い距離をひたすら泥臭く走り込む練習を続けていることを知り、私も当時は超長距離信者でした。引き込まれるだけの魅力が競走部や箱根駅伝にはありました。実際に一浪、二浪して早稲田大学競走部の門を叩く選手もいて、そういう存在も私にとってはモチベーションを高めてくれたものです。

残念ながら高校に入ってから落ちこぼれ街道まっしぐらだった私は、到底早稲田大学に入学できるほどの成績はなく、一般受験でも合格できる頭はありませんでした。エンジに白いWの文字。封印することになりましたが、箱根を走る映像を見ると、やっぱり思い起こされます。中高生だった自分にとってのあこがれの選手像を。

文中敬称略


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