駅伝の見方

今年も残すところわずか、年明けの箱根駅伝までもあとわずかとなりました。今回は私が常々感じている駅伝の見方について書いてみたいと思います。

私が大学生の時、陸上部のとある先輩との会話で箱根駅伝の話になったのですが、その時にブレーキとなった選手についての話題になりました。あれだけテレビで取り上げられてしまうと本人にとっても精神的なダメージは大きいだろうなという話をしたのですが、その先輩は、「ああいうアクシデントがあるからおもしろいんじゃないか。」と言っていました。私はその時、この人は本当に陸上競技をやってきている人なんだろうかと疑問に思ったものです。

母校のタスキをつなごうと必死に走る選手の姿には感動します。そのため、例年復路で見受けられる繰り上げスタートで涙を流す選手に心を打たれるというのはわかります。ですが、体調不良、故障、その他アクシデント等により、まともに走行することができない選手に関しては別です。まずは選手の身の危険を考慮しなければなりません。何らかの要因でブレーキを起こす、それは選手にとってはマイナスな事象以外の何物でもありません。下手をすれば選手生命に影響を及ぼすことすら考えられます。そんなものに感動したというのはちょっとおかしいと思うんですよ、私は。もしそれを感動というなら、日本人のスポーツ観による感動の押し付けであり、余計な感動です。

箱根駅伝に感動するなら、純粋に勝負と駆け引き、レース展開を見るべきです。そしてその中から生まれる選手の人間らしさ、必死にタスキをつなごうとする姿を見出すべきです。どうも日本人は駅伝や学生スポーツについて期待している部分が少し違うというか、見方が少し歪んでいるような気がします。

1月2日まであと3日。今年は5区の距離も短縮となり、4区が準エース区間として復活。5区偏重から各区間の配置の駆け引きも見受けられ、個人的には楽しみにしています。あとは選手が無事に走り切り、全力を出し切れることを期待するのみです。


もどる