無意味な我慢

我慢には有益な我慢と無意味な我慢とがあります。何か目標ややりたいことがあって、その達成のためにする我慢はとても意義があることです(例:マラソンを走るために好きなお菓子を我慢する等)。ですが、打開策も何もない中、ひたすら苦痛に耐えるだけの我慢は何も生みだしはしません。

私は実家にいた頃、ひたすら我慢していた。それしか選択肢を知りませんでした。私の中学時代の同級生に家庭環境に問題を抱えている人がいて、彼は高校入学後に親元を飛び出し、新聞奨学生となって学費を自分で稼ぎ、高校に通っていた。

親はその同級生を引き合いに出して私にこう言った。「嫌なら出ていけ。出ていけないだろ。だからお前は駄目なんだ。」。私は何のために高校に通って、何を学ぶために大学を目指しているのか、わからなくなっていたが、大学で陸上をするということだけを心の拠り所としていた。だが、学費を出してもらうとなると親の力なしでは進学は考えられない。結果、私は親からの罵声や暴力を受け入れるしかなかった。ストレスで何度家のガラス窓をバットで叩き割ろうと思ったことか。でも元野球人としては、バットは物を壊すために使うものではないという思いがそれを踏みとどまらせた。

自分のことをダメ人間としか思っていなかった私は、家出をしたところで一人で経済力を身に付けることなど出来るわけがないと思っていた。大学には奇跡的に合格して行けた。でも結局親に借金するだけで、精神的に負担を増やすことになるなら、大学なんか行かなければよかった。


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