競技者失格

「競技者失格」、大学陸上部の後輩に言われた言葉です。前述のとおり、大学陸上部の雰囲気や先輩を嫌悪していた私でしたが、右膝をおかしくしていたこともあり自分で練習することもできずにいました。大学3年になって主務に就くことになり、その仕事はきっちりやったと思います。後輩に指導はしませんでしたけど。私は選手として活躍するのが学生なら、また裏方で大会や部活を支えるのも学生という大学陸上界にあこがれた際、主務もやってみたいと思っていました。1年生の頃は主務の仕事を通して貢献したい、自分なりにこの陸上部を良くしたい、そう思っていました。

しかし、学年が上がるにつれて、この陸上部への嫌悪感は増すばかり。本当はインカレ等を一体となって目指す、そういう部にしたかったですし、そういう空気の他大学が羨ましかったものです。この部活のために主務の仕事をすること自体がばかばかしく思ったものです。それでも自分なりに改革できるところは改革しました。でも私は周りの誰をも信じることができず、いつも1人で仕事をしていました。

いつしか私は、練習をしないことを主務の仕事を言い訳にするようになっていたと思います。自分の競技力を伸ばすことを最優先に考えれば、しがらみや倦怠した空気のある部活をやめて自分で納得いくまで走ればいいと思います。ですが、私はまだ学生陸上に未練がありました。学連幹事もやめたくありませんでした。部を強くする、雰囲気を変える、インカレや箱根に向けて戦う集団を作る、その気持ちがまだ心の片隅にあったため、結局は退部しませんでした。そんな矢先に言われた言葉が冒頭の競技者失格です。

悔しかったですが、見返すことはできずに学生生活は終えています。大嫌いな先輩方が卒業してから、だいぶ雰囲気を変えることはできたと思います。私が4年生の時は推薦制度も新しくなり、これから母校は新たな部に生まれ変わる、そう期待したものです。私は卒業してもしばらくは陸上部に顔を出していました。それなりに雰囲気は楽しくもありました。でもやはり自分が走れていないのはどこか常に引っかかっていました。大学卒業してからマラソンを走りましたが、今でも私は競技者失格だと思っています。自分より部活を優先してしまった。結局は無残な競技結果が自分に跳ね返ってくることもわかっていたと思います。でも学生時代はどうすることもできませんでした。箱根やインカレに憧れた結果がこれだと思うと悔しすぎます。


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