マラソン

前述(ねじれた右膝参照)のとおり、私はマラソンを走ったことがあります。中学で陸上競技を始めてから、箱根駅伝という憧れもありましたが、最後にはマラソンを走って終わりたい、という希望がありました。早田俊幸選手という憧れの選手が現れたことも、私をマラソンに駆り立てました。

とりわけ、国立競技場を発着点とする東京国際マラソン(東京マラソンの前身大会)に出たいと強く思うようになりました。当時の参加標準は2時間30分00秒。福岡、東京、びわ湖、この3大会は標準記録が高く、これに出られるランナーはエリートの称号を得られたものです。憧れた早田選手も東京を3回走っています。

しかし、高校の時から思うように走ることができず、大学にはなんとか一浪の末入れたものの、その頃から鬱病の症状はひどくなり、さらには大学3年時に不眠症も併発。ねじれた右膝の影響で身体の筋力バランスもめちゃくちゃ。歩いているだけでイライラする生活を送っていました。ハコネ駅伝予選会不正出場未遂もありました。大学卒業後、ようやく重い腰を上げて走り出しましたが、この鬱病を抱えたままのマラソン練習というのがまたきつい。突然襲ってくるフラッシュバック、極度のマイナス思考や自己否定を必死に打ち消しながら練習しました。走る前に気合を入れるというか、フラッシュバックを打ち消すために大声というか奇声を上げて臨まないと走れませんでした。もうその当時から会社や周囲の方から精神科に行くよう勧められていましたが、薬を飲んだら副作用が出て走れなくなる、そう思った私は病院にも行きませんでした。

練習もあまり思ったようには積めませんでしたが、それでもなんとか2004年に勝田マラソンに出場。しかし地元県立藤沢高校の女の子に41kmで抜き去られるという失態。タイムも2時間47分40秒。到底納得のいくタイムではありませんでした。どこまで記録を出せば納得できるかはわかりませんが、一つの目標であった2時間30分00秒という東京国際マラソンの参加標準くらいまでは狙えるようになりたかったです。一度はちゃんと年間かけて練習を積んで、まともな右膝の状態でマラソンに挑戦したかったです。今でも悔しい。試合に出るための当たり前のことができていないのだから。


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